「俺は交換条件なんかで、人を信頼したりしませんっ!」

 

 

 

 ―――― ショックだった。

 何かを与えられるから、受け入れる。何かを得られるから、頑張る。何かをしてもらうから、信じる。
 人間の感情は、そんな単純なものではないと、思っていたのに。

 そりゃあ、自分の思考回路は人と較べてずっと単純明快にできていると、啓太は思う。

 彼がそのように思っているなんて、寂しくて。
 否、むしろ ―――― 彼にそう思われているのではないか、と考えると、哀しくて。 

 

 つい、声を荒げてしまった。

 

 そんな自分を、白銀(プラチナ)の髪をした彼はいつものポーカーフェイスを小さく驚愕に染めて、見開いた瞳で見下ろし。

「ありがとう、うれしいですよ」

 なんて、とぼけているとしか感じられない言葉で、締めくくられて。
 啓太も曖昧に応えるしか、なかった。

 

 

 

   【 8. A bargaining point 】

 

 

 

「‥‥‥ 臣らしい、な」

 

 会計部室で、西園寺は一つ息をついた。

 

 七条は目下、生物室に海野先生のデータ入力を手伝いにいっていて、この部屋には啓太と彼の2人しかいない。

 昨日、七条と共に頑張ったMVP戦の第1回戦が終わり、2回戦も一緒に組んでもらえることになって、あんなに嬉しそうにしていた啓太。それが今、目の前でそこはかとなく悄気(しょげ)ている。
 不可解に思い事情を聞いた“女王様”の最初に放った台詞が、それだった。

 

「あいつの考えそうなことだ」

 七条が部屋を出る前に淹れた紅茶を啜りながら、西園寺は呟くように言う。

「そう ‥‥‥ なんですか?」

 何となく納得できないと小首を傾げて、啓太はその言葉に応えた。

 

「俺には、やっぱりよく分かりません ‥‥‥」

「だろうな」

 これまた、女王様は即答。

 

 歯に衣着せぬ物言いは彼の性分とはいえ、ここまではっきり言われると何となくブルーになる。が、それも事実だから仕方がない。

 シュンと項垂(うなだ)れる啓太に、西園寺は苦笑いを零した。

 

「確かにお前が言うとおり、物事は全て『交換条件』で成立する訳ではない」

 

 それが人間の感情なら尚更だ、と。聞いた啓太は、はたと顔を上げる。

「しかし、臣はそうは思っていない」

「どうして ‥‥‥」

 断言する西園寺にまで、つい頭に血が上ったように突っかかりそうになり、慌てて自分を抑え込む。
 そんな啓太の様子など気にすることもなく、西園寺は続けた。

 

「臣は、コンピュータの様な思考しかできなくなっているからだ」

「コンピュータ ‥‥‥」

「コンピュータは、『交換条件』で成り立っているからな」

 

 

 指示が出されるから、開始する。命令されたとおりに、動く。ある一定の条件が揃えば、決まった結果が導き出される。 逆に言えば、その条件が完璧に整わないと望む結果は得られない。

 『1+1』が、必ず『2』になる世界。

「そして全てのプログラムは、1文字でも間違うと正常に機能しないだろう」

 機械に、『感情』などという曖昧さは存在しない。自分の求める結果が出ないとしたら絶対に入力した側に非があり、それに適わないものは決して受け付けない。
 人間の感情などという不確かさをコンピュータで言うバグと捉えてしまうなら、デバックし尽くされバグのない人間に感情はない ―――― 至極冷たいということになる。

 

 そこまで聞いて、啓太は七条の言葉を思い返していた。

 

『もともと僕は、あまり感情が豊かではないみたいなんですよ』
『母はそんな僕のことを、冷たい子だって怒っていましたけど』

 

 ズキン、と胸が痛む。

 確かにそう言われてしまうと、何も反論できない。 
 感情的には、それは違うという気分でいっぱいなのだけれど、それを上手く言葉にできない。
 まして、目の前にいるのは“女王様”だ。論戦で彼に勝つなんて、啓太でなくても大抵の者には無理だろう。それが七条についてなら、尚更だ。

 

「‥‥‥‥‥‥」

 

 七条が出してくれた紅茶を、ゆっくりと口に含む。もう冷めかけているそれを飲む振りをして、無言で俯くのを誤魔化すために。

 ―――― この紅茶と同じように、彼の感情も冷たくなっているのだろうか。
 視線だけ時々ちらりと上にやり、西園寺の様子を伺うと。

 そんな啓太の様子など気にもせずに、自分のティーカップを優雅に口許へ運んでいた。

(西園寺さんは、本当に七条さんを信頼していて ‥‥‥)

 彼に理解できている事が自分には分からないという現実に、落ち込みながら。それでも啓太は、ゆっくりと思索する。

(七条さんも、西園寺さんを信頼しているんだ)

 ―――― それは、最初から分かっていたはずなのに。

 改めてそう思うと何故か、小さな溜息に変わった。

 

 そこにある、2人で過ごした絶対的な時間の長さの差が、目の前に横たわっている。その長さに較べたら、自分が七条と過ごした時間など、その1%にも満たない。その差は覆ることなく、自分にはどうすることもできない。

『そんな短い間で、君に僕のなにがわかるというのですか?』

 七条の言葉がもう1つ、グサリと啓太の心に突き刺さった。

 ―――― 心が、ひどく沈み込む。

 どうしてこんなにショックなのか、自分でも訳が分からない。落ちていく自分の感情をうまく制御できなくて、それにさえ苛立ってしまう。

 

 

 暫し、沈黙が流れた。

 

 

 

「啓太」

 西園寺が、さすがに見かねて声を掛けた。

「‥‥‥‥‥‥ はい?」

 どろどろとした暗雲を背負った啓太が、その重さを除ける気力もないといった様子で漸(ようや)く顔を上げると。
 キッとこちらを睨み付けるような、“女王様”の視線。そしてやっと自分の状態に気付き、目が醒めた思いでハッとした。

 

 そんな啓太に、“女王様”は言う。

 

 

「落ち込むのは勝手だが、そのままでは前に進まないことだけは理解しておくことだ」

 

 

 腕を組み、人をやや見下ろすような表情で、強い口調。それは、彼の普段のの言葉遣い。

「確かに臣は、独特な考え方をする。だが、ただ同じになればいいというものではない」 

 ―――― そのくらい分かるだろう、と言わんばかりの表情。

 

 そんな言動や態度は一歩間違えると高慢でしかなくて、実際にグサリと胸に突き刺さることも時にはある。けれど、見た目によらず力強い彼の言葉は、弱気になった心にはちょうどいい。躊躇する気持ちを、後押ししてくれる。

 ―――― 考え方だけがただ同じになればいい、というものではない。

 道は、無限にある。1つの場所にたどり着くのには、必ず同じ道を通らなければならないという法はない。

(どんな形であれ、俺の力になってくれるって言ってくれてるんだ)

 同じ目標に向かって、一緒に歩いてくれる。それだけは変わらない、紛れもない真実だから。

 

(そうだ、このままでいいんだ。俺も、‥‥‥ 七条さんも!)

 

 目をぎゅっと瞑って、ブンブンと頭を振るう。沈んだ考えを、振り払うために。
 そしてもう一度開いた瞳には、光が戻っていた。 

 

 

 

「‥‥‥ それも、そうですよねッ」

 

 どちらかというと楽観的で、立ち直りが早い。それはいつものことなのだけれど。

 そんな仕草が可笑しくて。西園寺は少々呆れ顔をした後、フッと小さく吹き出した。

 

「その意気だ」

 

 笑顔が似合う、太陽のような少年。
 ―――― さすがは、臣の心を捉えるだけのことはある。

 

「はいッ。‥‥‥ あの、ありがとうございます、西園寺さん!」

 残った一口分の紅茶をぐいと飲み干して、啓太はすっくと立ち上がった。

「俺、頑張りますね、MVP戦!」

 カップを手にして「次は知力戦だから足を引っ張らないように頑張らないと」、と力説する。
 そのまま身を翻して奥にある給湯室でカップを洗い片付けて、くるりとまた西園寺の方に向き直し。

 

「それじゃあ俺、そろそろ行きます。お邪魔しましたッ」

 普段通りの笑顔でペコリとお辞儀をし、啓太は慌ただしく会計室を出ていった。 

 

 

 


 

 

 

「フッ ‥‥‥」

 

 瞳を伏せ、西園寺は口の端を軽くつり上げた。

 ―――― 全く ‥‥‥ 啓太も、難儀な男を選んだものだな。

 

 

 昔から、感情表現が苦手だった少年。長い間、自分の後ろを一生懸命ついてくるだけだった。
 自分の言うことには、全て従う。けれどそれは、居場所を提供してもらう代わりに、という感があった。
 しかも、それがあまりに幼い頃からのことだったのと、それまでの事情があったからだろう、本人が気付いていないから尚タチが悪い。

 別にそれを疎ましいと思ったことがある訳ではないし、これからもずっと自分の片腕として側にいてほしいという思いはある。しかしながらそれ以外の人間と関わりを持とうとしない七条を、心配しなかったことはない。

 

 

 

 漸く、それもそろそろ卒業できそうだ。

 

 

 

「頑張れよ、‥‥‥ 啓太」

 

 

 心の底からそう願いながら、西園寺はそっと瞳を閉じた。

 

 

 

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