あの熾烈なMVP戦が終わってからというものの、その足は放課後になると必ず会計室へと向かうようになった。

 最初の頃は ――― 1週間ほどだろうか ――― 「七条さんと待ち合わせているから」と和希に困ったような照れ顔で言っていた啓太だが、今は喜びいさんで通っているように見える。

 会計機構には、正式に在籍している訳ではない。けれど西園寺にもけっこう好かれているし、そうなるのも時間の問題だろうと専(もっぱ)らの噂。

 

 彼を生徒会に誘ったことのある丹羽など、本気で残念がっていた ―――― もちろん、副会長のいないところで。

 

 最近頓(とみ)に機嫌の悪い副会長の前で、それは禁句だった。

 

 それなりに啓太を気に入っていたのは、中嶋も同じだったのに。それがよりにもよって、最も相容れない男のものになったというのだから胸中は穏やかではない。
 そんな訳で。
 前々から仲がいいとはお世辞にも言えない両者だったが、啓太が七条とつきあい始めてからというものの、それは収拾のつかないところまで きてしまっていた。

 

 ウィルスの横行など、まだ序の口。この間も、たった1枚の書類が行き違ったという些細な発端から壮絶なハッキング合戦をやらかして。
 2人してネットワークを無茶苦茶にしてホストコンピュータをフリーズ寸前に追い込み、あわやセーフティモード発動かというところまでの争いになった。

 

 

 そろそろ、理事長の胃に穴が開くかも知れない。

 

 

 

   【 Digital Devil Story ? 】

 

 

 

 さて、その争いの原因、その中心に自分がいることをあまり自覚していない啓太は、今日もまた会計室へと足を運んだ。

 扉をノックすると「どうぞ、伊藤くん」という優しい声が聞こえ、啓太は遠慮なく中に入っていく。

 

 そこにいるのは七条1人で、パソコンに向かって書類の打ち込みをしていた。
 不意に何をしているのか気になって、そちらへ向かおうとすると。

「すみません、そこのCD-Rを取ってくれませんか?」

 こちらに来る啓太に、七条は出入り口右の棚を指差した。

 この部屋には足繁く通っているから、どんな備品がどこにあるかくらいは憶えてしまった。啓太は金色のディスクをボックスから取り出して「どうぞ」と七条に手渡した。

「ありがとう」

 そう言ってくれるときの彼の笑顔が、啓太は一番好きで。
 けれどじっと見ているのも恥ずかしくなるから、照れ隠しに訊いてみる。

 

「‥‥‥ また、何かのプログラムですか?」

 ディスプレイをちょろっと覗いてみても、もちろん啓太には分からない。

「そうです、さすがにフラッシュメモリでは収まりきらなくなったので」

 手にしたCD-Rをドライバに挿入しながら、七条は言う。

 少し屈(かが)んでもっと画面をよく見てみると、画像ファイルなどが沢山ある様子。確かにかなりの量のデータだと、それは啓太にも分かった。
 けれど、何だかいつもとは様子が違う気がする。いつもは英語ばかりが打ち込んであるのに、これの中には見たこともない文字が混ざっている。

 

「七条さん ‥‥‥ 何のプログラムでか、訊いていいですか?」

 思ったことをそのまま、口にすると。

「はい。今度のプログラムは、少し趣向が異なるんですよ」

 啓太の感じたとおりの、答え。

 そう言ううちに打ち込み作業が終了したようだ、バックアップを取るためにデータを保存べく別のアプリケーションを起動させた。CDへの書き込み作業は少々時間がかかるが、あとは自動的にやってくれる。
 七条はキーボードから手を離して、啓太の方に振り返った。

 

「実は、ですね ‥‥‥」

 

 そのままその両手を、啓太の肩に伸ばす。「わわっ」とたじろぐ彼の意志などそっちのけで、ぐいと自分の方に引き寄せた。

「し、七条さんッ」

 耳元に、吐息を感じる。今まで何度もされたこと、決して嫌いではないのだけれど、未だに慣れることはなくてドキドキしてしまう。

 そんな啓太に、「あまり大きな声では言えませんから」と尤もらしい理由を付けて、続けて。

 

 

 

「実は、これは悪魔召還のプログラムなんです」

 

 

 

「‥‥‥ へぇ、悪魔しょう ‥‥‥ かん ‥‥‥」

 

 とりあえず鼓動を抑えて、言われた単語をゆっくり反芻していると。

 

「‥‥‥ って、えぇーッ!?」

 

 それがあまりに突飛な言葉だと漸(ようや)く気が付いて、大きな声を上げてしまった。

 

「どうしました、伊藤くん?」

 対する七条のいつものポーカーフェイスは決して崩れることはなく、それどころかその微笑みのまま「声、大きいですよ」と唇に指を当てる仕草。慌てて啓太も、自分の声に驚いて思わず自らの口許を両手で抑えた。

 そうやって落ち着こうと試みたけれど、それでもすぐには事態が飲み込めない。

 

「あ、悪魔って、あの ‥‥‥ 悪魔、ですか!?」

 しかし、ゆっくりと自分で自分の言葉を確認しながら質問してみても。

「はい、あの悪魔です」

 どうやら自分の聞き間違いではないらしい、ということだけを確認して。啓太は、大きく息を吐いた。

 

 

 どこにツッコんでいいものやら、分からないけれど。

(確かに、大きな声じゃ言えないや ‥‥‥)

 普通では微塵も考えつかなさそうなことでも、彼ならできてしまいそうで ―――― 怖いから、何も言えなくなる。

 

「ウィルスなどでは、埒があきませんから」

 

 書き込みの終わったディスクを取り出しながら、天才ハッカーはクスッと笑みを浮かべる。

「こういったアナログなものの方が、意外と効力を発揮することも多いですよ」

 今更「何のために」なんて尋ねる気力など、啓太にはなかった。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 そして。
 七条の淹れてくれた紅茶でひとまず一服しながら、啓太はソファにちょこんと腰掛けていた。

 

「でも、七条さん。パソコンで、その ‥‥‥」

「降魔術、ですか」

「は、はい。それって ‥‥‥」

 できるんですか、と傍らにピッタリひっついて座る恋人に問おうとして、やめた。そんなの愚問だ、と思った。
 もしかしたら、冗談かも知れない。否、そう考える方が普通だろう。真顔で言うそういったジョークを、今まで幾度となく聞いてきたから。
 しかし、そこまでの啓太の思考を読みとったが如く、七条がクスクスと小さく笑いながらあっさり応えてしまった。

 もちろん ―――― 「可能ですよ」と。

 

 

 

「魔術というのは、実はコンピュータ理論との考え方と酷似する部分が多いんですよ」

 そう言って七条は啓太に数枚のルーズリーフを渡し、にこりと微笑んだ。
 そこには、見慣れない文字や図が沢山書き込んである。もちろん啓太に、それが理解できるはずもない。

「魔術は本来、非常に緻密な論理構造を持った科学である、という説があるくらいなんです」

 紅茶を口に含みながら、七条は続ける。

「緻密すぎて人間には手に負えない計算も、コンピュータには大した重荷になりませんしね」

 まぁ、確かにそうなのだろうけれど。

(そんな計算を早く正確に入力できるのって、七条さんくらいのものじゃあ ‥‥‥)

 啓太はそう思いつつも、何も言えない。
 こうなると、自分にはきっと止められないから。

 

「そう、例えば降魔術で使う呪文や魔法陣などは、2進法での数値化に意外となじむんですよ」

「‥‥‥ はぁ」

「そして降魔術は、悪魔が出現しやすい環境を設定し悪魔の降臨を待つ技術、と定義できる」

 

 そんなことを言われても、辛うじて「そ、そうなんですか?」と曖昧な相槌しか打つのが限界なのに。
 七条の方も然して気にしていないのだろう、それを知りつつもどんどんと話を続ける。

「そうするとRAMは、悪魔が降臨するための入れ物、と考えられるんです」

「ら ‥‥‥ らむ?」

 不意に啓太の頭の中でヒツジが1匹、ひょっこり顔を覗かせたから。

(む、難しい)

 思わずそのヒツジをそのまま2匹、3匹と数えたくなってしまう。

「Random Access Memory ‥‥‥ 頭文字をとって、通称・RAM」

 それを看破して、七条は説明を加えた。

「コンピュータ内部にある、‥‥‥ まぁ簡単に言えば、記憶装置の一種だと思って下さい」

「記憶装置 ‥‥‥」

「甚大な量のデータですが、学園のホストコンピュータのサーバの容量なら充分でしょう」

 その点は理事長に感謝しなければね、と七条は微笑む。
 ―――― 理事長がここまで見越していたかどうかは、甚だ謎だが。

「こうしておけば、この学園のネットワークを通じてどこでも悪魔が呼び出し可能ですよ」

「し ‥‥‥ 七条さん、まッ ‥‥‥!」

 思わず、大きな声を出してしまって。今度は、七条自身に口を抑えられた。

 片手を啓太の背中から回し抱きかかえるようにして口を塞ぎ、、もう一方の手で「しーっ」という仕草をする。

「まさかこれって、学生会のコンピュータに送り込む気じゃ‥‥‥!」

 その手の中でできる限り声のトーンを抑え、啓太が尋ねると。

 

 七条は「ふふっ」と薄く笑った。

 

「ここまで大がかりな冗談をしかけるほど、僕は酔狂じゃありませんよ」

 

 

 

(そうだよなあ、いくら何でも冗談 ‥‥‥)

 そこまで考えて。

 どこかで聞いたような台詞だと、啓太はふと記憶を辿り。
 あのときの言葉を ―――― 思い出した。

 

 

 

『もちろん、本気ですよ』

 

 

 

 内心、ちょっとどころでなく恥ずかしかったりするけれど。今は、それよりも。

(‥‥‥って、もしかして、それって)

 頭の中を彷徨っていた、眠気という名のヒツジが恐れて一気に逃げ出していく。

(もしかして ‥‥‥ 大マジ!?)

 コンピュータを使って悪魔を呼び出すなんて、そんなこと。

 できるとは思えない、できるはずがない。けれど目の前にいるこの人は、できないことは言わない。

 

 

 ―――― ちょっとだけ、血の気が退いた。

 

 

「‥‥‥ し、七条、さん?」

 

 そして啓太が恐る恐る見上げた、視線の先には。
 西園寺曰く『胡散臭い』笑顔と黒い羽、矢印の尻尾。

 

 

 

 召喚するまでもなく、“悪魔”は微笑みながら傍らに座っていた。

 

 

――― ENDE ―――   

 


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