まだまだ寒い、2月初めのある休日。木枯らしが舞う外に比べて、ここはずっと暖かい。

 空調が効いているというのもあるだろうが、何よりも来客の独特な熱気があった。

 

「うーん、ホントどうしようかなぁ ‥‥‥」

 

 今日は、1人で外出中。恋人には、『ちょっと用事が』と言っておいただけだけれど。

 百貨店2階の休憩所にあるベンチに腰掛けて、携帯電話を使っている振りをしながら。
 何も表示されていないディスプレイをぼんやり見つめつつ、啓太は大きくため息をついた。

 目の前には、赤やピンクに彩られたワゴンの集まっている催事場。こんなにいっぱいハートマークを一度に見る機会なんて一年に一度、多分この時期だけだろう。

 

 

 たくさんの女性がわらわらと群がるその空間に入っていく勇気は、とりあえず啓太にはなかった。  

 

 

 【 So much I love you ☆ 】

 

 

 

 けれど、気にはなるのだ。

 

 1月下旬頃から、島外へ買い物に出るたびにしばしば目にする、バレンタイン・チョコの特設売場。派手だから、というのも勿論あるが、“恋人”を持つ身としてはどうしても気になるというもの。

 味覚がアメリカンな無類の甘党、それも洋菓子派である啓太の“彼”。この機会にあげないテはないだろう。今からでも、チョコレートを手にして微笑を浮かべる“彼”の姿は容易に想像できる。

 

 しかし、我に返れば。

 

 こんな独特の雰囲気が辺り一帯に立ち込めている中に男が1人で入るのは、如何なものか。
 かといって、食品売場の陳列に普通に置いてある板チョコや袋チョコなどを渡すのはかなり味気ない。それを材料にして手作りチョコを、というも考えたが、自分の料理の腕前、及びこの寮の調理室をチョコレートの匂いで埋め尽くしたときの周囲の反応などを考えて、早々に挫折した。
 通信販売で購入するというのも考えたが、そういう『取り寄せ』みたいなお菓子なら彼はよく口にしているし、何よりそういう情報はすぐに“彼”に知られてしまいそうな気がして、これもやめた。

 

 

(去年までは、もらえるかどうかの方が気になったのにな)

 

 

 とはいえ孤島の男子校では、特別な付き合いでもない限り、女の子からもらうことなんて皆無だと思う。

 だからといって、あげる方で悩む羽目になってしまうとは思わなかったけれど。

 

 はぁ、ともう一度息をつくと。

 

 

「おや、どうしました?」

 

 正面上部から降ってきた、聞き覚えのある声に啓太はビックリして顔を上げると。

 銀の髪の“彼”が傍らに佇み、穏やかな表情でこちらを見つめていた。

 

「七条さんッ?」

 まさか、こんなところで出会うとは思ってもみなかった。

 ここは、いつもよく来るベルリバティ学園の孤島から一番近いデパートではない。買うものが買うものだから、同じ学園の学生とやたら遭遇率の高いそのデパートを避け、わざわざちょっと遠くの少々大きめの百貨店まで足を運んだというのに。

 理由が理由だけに、今日ここに来るという話を誰にもしていないのに。

 

 発信機でもついているのか、とさえ思い、衣類のあちらこちらを探る仕草をしてしまう。

「‥‥‥ 伊藤くん?」

 その動きを不振がって、けれど表情はいつもの微笑みのまま、七条は小首を傾げた。

「どうか、しましたか」

「あ ‥‥‥ 何でも、ないです」

 自分が奇妙な動きをしていることにやっと気が付いて、啓太は頭をかいて誤魔化すと、七条もこれ以上追及しようとしなかった。

 

 

「伊藤くんも、買い物なんですね」

 しかし、七条が別の話題を振ってきて安心したのも束の間。

「こんな遠くの店まで、何を買いにきたんですか」

「あ ‥‥‥ いえ、その」

 啓太はまた答えに窮し、再び冷や汗をかいた。

 何も理由もなくここにくるなんて、ちょっと不自然な感じもする。それに、こんな遠出をするのに何も言わず独りで来るなんて些か薄情な気がして。

(でも、チョコレートを買いにきた、なんて、言えないし)

「特に、用はないんですけど ‥‥‥」

 ちょっと出てみたかったんです、と、ごにょごにょ口ごもっていると。

「そうですか」

 再び、あっさりとした返答。

 納得しているのか、していないのか、そのポーカーフェイスからはちっとも分からない。けれどとりあえず、七条は何も言ってこない。

 

「七条さんこそ、このお店に用ですか?」

 今度は何かを聞かれる前に、と少々慌てて質問してみると。

「えぇ。郁の気に入ったというティーカップを、受け取りにきたんですよ」

 落ち着いた口調で、七条は言った。

「西園寺さんの ‥‥‥」

「はい。2月14日ですから、郁の誕生日は」

 この百貨店は、階によっては、高級ブランド店が沢山テナントに入っている。彼の言うティーカップは、そういった店にしか置いていないのだろう。

「先日問い合わせたら在庫がないとのことだったので、注文していたんです」

「そうなんですか ‥‥‥」

 見ると、彼の手には高級感溢れる艶のある手提げの紙袋。中に、件のカップが入っているに違いない。

 さすがに、要領がいい。直前になってバタバタしている自分とは、やはり違う。

 まして、西園寺のこととなれば尚更なのだろう。

 

(‥‥‥‥‥‥)

 

 ちょっとだけ、胸が締めつけられた。

 

「伊藤くん」

「は、はい?」

 ぼんやりしていた啓太は、七条は静かに声にも少々驚いた様子を見せた。が、七条は構わず問う。

「せっかくなので、一緒に店をまわりませんか?」

 君をつき合わせるのは悪いと思っていた自分の買い物は既に終わったからと、七条は言う。
 座ったまま、ちょっと元気がない啓太に、お手をどうぞとばかりに右掌を差し出して。

「もちろん、君さえよければ、ですけれど」

 そうやって控えめに微笑むと啓太は否と言えない、というのは、計算ずく。

「あ ‥‥‥ それは、全然構わないです」

 案の定。
 別にこれと決まった用事がある訳でもない ――― いや、あるといえばあるのだけれど、行動に移せない ――― 啓太は、ようやく元気を取れ戻してその手をとり立ち上がった。 

 

 

 

◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆

 

 

 

 しばらく、店内を2人で歩き回った。本屋やCDショップなど、お互いが好きなところを言い合って、決まればそこに行くといった具合に。

 そして、ひと通り店内を巡った後、地下1階へ降りてくるエスカレーターに乗ろうとしたのは七条だった。

 

「そろそろ、いい時間ですね」

 

 時計を見ると、もう4時過ぎになっていた。

 ここは、学園からはけっこう離れている。学園に戻るのに必要な時間を、バスの時刻などの都合も合わせて逆算すると、ここにはもう1時間弱しかいられないだろう。

 

「でも、もう1つ、寄りたいところがあるんですよ」

 

 行ってもいいですか、という問いに啓太が答える前に、七条は階下へと向かってしまった。慌てて啓太も後を追う。

 

 

 地下1階には、お菓子屋のテナントがずらっと並んでいる。和風や洋風、高級菓子から駄菓子まで、ありとあらゆる種類のお菓子が売られている。

 そんな様々な店舗ほぼ全てに共通して、設けられているのが各店ごとに趣向の異なる『バレンタイン特集』のコーナー。先程啓太が上の階で見ていたのとは、また違う。

「ほら、伊藤くん。これなんか、美味しそうだと思いませんか?」

 啓太の1、2歩先を行っていた七条はいろいろな菓子店の前で立ち止まっては、そんなチョコレートを見つけて無邪気に言う。
 ただ、時々試食用のチョコを勧められては笑顔を振り撒いていたものの何も買う様子はなく、見ているだけといった様相だったけれど。

 傍目には外国人に見える ――― ハーフだから当然なのだが ――― 青年が嬉々としてチョコを見てまわっている様子は傍から見ているとやや不思議なんだろう、店員が少々戸惑っているのが分かる。が、常日頃彼と一緒にいる啓太に、そんな気後れはない。むしろ、1人では入れなかった空間にも彼となら行きやすいとさえ感じる。

 先程は女の子たちに圧倒されてよく見られなかったが、ここは普通の贈答用のお菓子もたくさん置いてあることもあって、そんなに人々が固まっている訳ではなく、凡そバレンタインと縁がなさそうな人たちもいるから、その点、ちょっと安心していられるというのもある。

 

 それにしても、よく見ると随分といろいろなものがあるものだと思う。パッケージだけで高そうな生チョコとか、味や色など飾りのバリエーションに富んだトリュフとか。和菓子屋さんでも、チョコ風味の餡子をつかった饅頭だとか、煎餅各種の内にハートチョコを1つ入れただけの詰め合わせとか。迷う方も大変だが、毎年考えるのはもっと大変だ。

 けれど見ているだけの分には、これが意外と楽しい。そうやってほぼ1周まわったとき、「さて」と七条はくるりと向き直した。

 

「伊藤くんは、どれが1番美味しそうだと思いましたか?」

 

 にこり、と七条が問う。

 唐突に話を振られた啓太は、ちょっとだけ逡巡した。
 どれもこれも、美味しそうだった。問われても、やはり迷ってしまう。

 

「俺は ‥‥‥ そうですね、『パティシエY'm』のトリュフかなぁ」

 うーん、と1分近く考えた後、最初に名前が挙がったのはそれだった。

 啓太の言う『パティシエY'm』とは、全国に店舗を構える有名なお菓子屋さん。見た目は素朴で高級感はさほどないが、良質な材料をふんだんに使っていて味は評判という店だ。
 啓太の実家の近くにもその支店があって、母や妹がよくそこのお菓子を買って帰ってきたことがあり、馴染みがあった。

 

「奇遇ですね」

 七条は言う。

「僕も、そのチョコレートがいいなと、思っていたんです」

「へぇ、七条さんもですか?」

 自分の気に入ったものを、自分の好きな人もいいと言ってくれる。それを聞くと、何となく嬉しくなってしまって、啓太は頬を綻ばせた。

 

 そして、照れて少し視線を逸らせた隙に。

 

「あ、れ。七条さん!?」

 いつの間にかその姿が消えてしまっていた。
 慌てて彼を探すまでもなく、すぐに見つけられたのだけれど。

「いらっしゃいませ」

 先程話題に出たばかりの、『パティシエY'm』の前に、彼はいた。

「し、七条さん?」

 駆け足で追うと、七条はショーケースの中を指差し、財布を取り出しているところだった。

「このトリュフの詰め合わせを、1箱ください」

「はい、‥‥‥ 少々、お待ちくださいませ」

「あと、贈り物なので、リボンか何かつけてもらえますか」

「かしこまりました」

 注文を受けた女性店員は、品物を取りに奥の棚の方へ向かった。

 

「七条さん、もしかして ‥‥‥」

「お待たせいたしました」

 戸惑いながらの啓太の言葉を、店員が事務的な台詞で遮った。
 このシーズン、既に包装してあるものが置いてあったのだろう、それにプレゼント用のリボンのついた銀色のシールを貼り付けただけで、店員は存外早く戻ってきた。

「あぁ ‥‥‥ ありがとう」

 啓太の方を気にしながらも、七条は品物と引き換えに代金をちょうどで渡す。
 と。

 その価格は ―――― 予算圏内。

「あ、あのッ ‥‥‥ すみません!」

 啓太は咄嗟の大きな声で、店員を呼び止めた。

「は ‥‥‥ はい、いらっしゃいませ」

 その声音にちょっと驚いた様子を見せたが、けれどすぐにマニュアル通りの応答と営業スマイル。

「あの ‥‥‥ それと同じもの、もう1箱くださいっ」

「‥‥‥ トリュフの詰め合わせ、ですね。少々お待ちくださいませ」

 店員は再び、奥の方へ下がっていく。

 

 七条は一瞬驚いたような顔をして、それからちょっとだけ苦く笑った。

「お待たせいたしました」

 しばらくして差し出されたのは、七条が持っているのとお揃いの紙袋。同じリボンに同じ包装紙にくるまれた箱、そしてその中には、同じだけのチョコレートが入っている。

 

 

 ちょうどその時、店内中央にある大きな時計が5時の鐘を鳴らし始めた。

「そろそろ出ないと、バスに間に合いませんね。急ぎましょうか」

 その言葉が少々ため息混じりに聞こえたのは、啓太の気のせいではなさそうだった。

 

 

 

◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆
 

 

 

 

 黄昏時。バスにはどうにか乗ることができて、目下学園島の寮へ続く道を、2人散歩がてらのんびりと歩いていた。

 部活帰りらしき学生を時々目にする以外は殆ど人がおらず、静かな帰り道。

 

 

「どうして、同じものを買ったんですか?」

 不意に、隣の七条が口を開いた。

 別に、責めている訳ではない。ただ、やや残念そうに微笑んで。

 

「このチョコレートを、君に贈ろうと思ったのに」

 

 だから、目の前でリボンをつけてもらった。これがプレゼントだと ―――― 分かるように。

「すみません、つい ‥‥‥‥‥‥ って」

 そこで、何かおかしい気がして、啓太はきょとんとしてしまった。

 

「七条さんが、俺に?」
 

 自分が七条にあげることしか、全然考えていなかった啓太である。「そうですよ」とうなずく七条の言葉に、小首を傾げた。

「ダメですか?」

「いや、そうじゃなくて ‥‥‥」

 言われると、やっぱり嬉しくて目尻がたれてしまう。

 

 ただ何となく、考えても見なかった事態に、違和感があっただけ。

 

「俺、‥‥‥ 本当は、七条さんへのチョコを買いに、あの店にいたんです」

 先刻ははっきりと理由を言わなかったけれど、と謝るように啓太は言った。

 

 で、いろいろ考えたり気圧されたりしていると、結局買えなくて。そうしたら偶然、七条と出会ってしまって。
 彼が気に入ったというチョコを買ってあげるのが一番いいんだ、と思ったのだけれど。

 一足早く、七条の方が先に買ってしまって。自分は、二番煎じになってしまった感じで。

 

(俺の方が先に渡して、驚かせたかったのにな)

 自分の手の中にある紙袋に、視線を落とす。
 と。

 

「ええ、それは知っていましたよ」

 

 

「‥‥‥!」

 これまた驚きの反応に、えっ、と啓太は思わず顔を上げた。

 

 

「‥‥‥ 俺、秘密にしてたつもりなのに ‥‥‥」 

 

 対する七条は、相も変わらず余裕の微笑。

 ここ最近の啓太に、何となく落ち着きがないことには気付いていた。それが、バレンタインデーというイベントに起因するものだということも、凡(おおよ)その見当がついた。

 そして今日という休日も、1人で外出すると言ってきた啓太。自分にも行かなければならない場所があり、それが西園寺に関わることとなれば、啓太を連れて歩くというのもちょっと悪い気がして、今日だけは別行動をとるつもりでいた。

 ―――― どんなチョコレートをくれるのかと、楽しみにしながら。

 

 

 けれどそれが、偶然同じ店で。

 チョコレートを目の前にしてため息ばかりついている恋人を見つけたときには、驚く前に、まずはその奇跡に感謝した。

 

「愛の力、ですね」

 

「あ、愛って ‥‥‥」

 

 臆面もなく七条は言うけれど、啓太はその単語だけで、耳の先まで真っ赤にさせてしまう。
 これだけはなかなか慣れないのは、日本人だからだろうか。

 

「そんな君を見ていたら、やっぱり僕もチョコをあげたいなって思ったんです」

 プレゼントは、中身を知るまでも楽しいけれど。
 一緒に選ぶのも、また悪くない。

 

 嬉々として、極上の笑みを浮かべながら七条は言う。

「はい、伊藤くん」

 

 いつの間にやら封を開けた箱からミルクチョコのトリュフを一つ取り出して、啓太の口唇にちょんとつける。
 条件反射で開いた口の中いっぱいに広がる、甘い甘いチョコの味。

 それから。

 呆気にとられた啓太の口元、ココアパウダーを拭うように、キスを1つ。

 

「寮に帰ったら、一緒に食べましょうね」

 

 

 ―――― もちろん、2人きりで。

 

 

 

◆ ◆ ◇ お わ り ◇ ◆ ◆   

 

 

 


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