―――― 今日も、いろいろな人に出会った。

 

 

 文化部見学を終えた日の、夕食の最中。
 食堂にどんどん人が入ってくるのが見えて、啓太は一つ息を零した。

 時間的に今くらいが丁度ピークなのだろう、座席はもう殆ど埋まってしまっている。啓太が来たときにも、2人で座れる場所なんて大きな長テーブルに並んだ椅子2つしかなかった。
 会話するのには向かい合った方がどちらかというと都合がいいのだが、大した弊害ではないしお腹はすごく空いていて待つのも面倒だ。団体生活なのだからそうも贅沢は言っていられない、言うつもりも毛頭ない。

 

 そういうの ――― 団体生活の規律規則云々 ――― が頗(すこぶ)る似合わなさそうな人も、この学園には多々いるのだが。

 

 昨夜訪れた部屋とそこの主の姿が、啓太の脳裏を掠めた。

 

 

 

   【 2. The First Impression 】

 

 

 

「なぁ、和希 ‥‥‥」

 

 

 金目鯛の身を箸でつまみながら、啓太は隣で一緒に食事をしている級友に声を掛けた。

「何だよ、啓太?」

 魚の小骨に悪戦苦闘していたために口数がやや減っていた和希が、皿から視線を軽く上げてそれに応えると。

 

「ここがシェルターで隔離されるって、本当なのかなぁ」

 

 

「‥‥‥‥‥‥ ぶ」

 

 

 少しの沈黙の後。思わず小さく吹き出して、和希は慌てて口許を抑えた。

 やたらと噎(む)せている彼にきょとんとして、その後啓太は憮然とする。

「何も、そこまで反応するコトないだろ?」

「い ‥‥‥ いや、悪い。つい」

 落ち着こうとグラスの水を口に含みながら、和希は一つ息をついた。

「しかも、何気に反応ニブいし」

「‥‥‥ 仕方ないだろ、お前が藪から棒にそんなこと訊くからさ」

 いきなり何を言い出すのかと思えば、と小さく反論してみる。

 

 客観的に見ても無理のない話だろうと、和希は思う。大体、その話題が上ったのは昨日の話だ。その上、それは冗談ということで片付けられ完結したはずで、頭の中からはきれいサッパリ消えていた。
 そんな話を、今更ぶり返すのだから。

「まさかお前 ‥‥‥、まだ信じてたのか?」

 恐る恐るといった表情で、もう一度和希は問う。

 尋ねられた啓太は、少し唸った後「そういう訳でもないけれど」と弱く否定し、しかし続けた。

 

「でも、やっぱり気になって。七条さん、真顔で言ってたから」

 

 

 ―――― あの笑顔が『真顔』と呼ぶに相応しいのか、と和希は心の中でツッコミを入れる。

 

 

「だから ‥‥‥ 作り話だと分かっていても気になるんだよ、七条さんの言葉って」

 

 シェルターの話だけではない。中嶋に対する『悪人』発言も、今日の『奴隷』発言も。
 彼自ら「冗談だ」と認めていることもあれば、周囲がそれを冗談だと指摘していても本人は「本気だ」と言って憚らないこともある。

 本気のような冗談と、嘘のような本当の話。その境界線が、笑顔に隠れて全く見えてこない。一般的にポーカーフェイスとは無表情のことをいうらしいが、こうなると一種のそれだ。

 

 そんな彼の言葉は、どこからどこまでを信じていいのかは分からないけれど。

 それが自分の目で見た話でない以上、できる限り良い方向で信じてみたいと思うのが啓太の性分。 

 和希もそれを知っているから、 はぁ、と大きく溜息をついた。

 

「そういえばお前、女王様より七条さんの方がいいって、言ってたもんなぁ ‥‥‥」

 

 

 

 今日のこと、西園寺と七条の2人に出会ったときの啓太の言葉を思い出す。

 

 ―――― 俺は七条さんの方がいい ‥‥‥ かな?

 

 あのとき、和希は耳を疑った。

 思えば、比較対象が悪かったのかも知れない。
 確かに西園寺には、人を寄せつけない雰囲気がある。言葉も率直すぎるから、慣れないうちは苦手意識を持たれたとしても仕方ないだろう。また、たとえ長く接したとしても、あれは人によって好き嫌いがはっきり分かれる性格だ。

 それに対して七条はといえば、最初の印象は10人中9人以上は悪くないと感じるだろう。物腰は柔らかいし言葉遣いは丁寧で優しいし、いつも浮かべている微笑みはよほど穿った見方をしない限りマイナスイメージを与えない。隣にいるのがあの“女王様”なら尚更、紳士的な態度が際立ってくるに相違ない。

 だが実際いろいろと話をしてみれば、それらの印象はものの見事に覆される。彼の言う“冗談”は少々どころでなく独特で、すぐに慣れることができるものではないから。

 

 和希の場合 ―――― 初対面の印象が、西園寺を庇うために激昂している表情だったものだから、この学園内で再会したときは別の意味で余計に面食らったのだけれど。

 

 

 

「お前さ、もう慣れたのか? 七条さんの冗談」

「いや ‥‥‥ そうじゃないんだけれど」

 サラダのレタスを箸の先でつまみながら、少し考えるように沈黙して。

「俺、思ったんだ。七条さんがあんな冗談を言ったの、もしかしたら俺のためだったのかもって」

 啓太は言って、レタスを口に運んだ。

 

「‥‥‥ お前のため?」

「うん」

 

 和希は、相も変わらず「一体何を根拠に」と理解に苦しむような顔で、眉間にうっすらと皺を寄せている。

 それを察して、表情を変えず啓太は続けた。

 

「俺、あのときすごく緊張してただろ? それをほぐすために言ってくれたのかな、って」

 

 

 

 高級な調度品に囲まれ、高そうなティーカップと芳しい紅茶の香り、挙げ句の果てに株という高尚な趣味の話。次第に慣れてきたとはいえ、やっぱり体に入った力はそう簡単には抜けなかった。

 そんな中での彼の話はSF映画のようで、けれどそれは学園のことというのでまるで自分がその映画の登場人物になってしまったような錯覚を誘い、つい無意識のうちに引き込まれてしまっていた。

 それが冗談だと知ったときは、そのオチに思いっきり脱力してしまったけれど。

 肩にずっと入っていた無駄な力も、一緒に抜けてしまった。

 

 

 ―――― そう気付いたのは、部屋に帰った後だったけどな。

 

 

 

 無垢な顔をしてニコニコと、そう言われてしまうと。

 夕食のメインディッシュに気力を使い果たしていた和希には、もう否定する意欲すらなかった。

 

 

 


 

 

 

「‥‥‥ 啓太」

「ん?」

 付け合わせの人参のグラッセをくわえたまま、呼ばれた声に振り向くと。

「お前、本ッ当ぉに、人が好いのな」

 力いっぱい呆れた顔で、言われてしまう。

 

 

「そうかなぁ ‥‥‥?」

 

 

 あれが優しさでなければ何だろう、と思う。

 最後の人参を飲み込んで、啓太は何だか腑に落ちないといった表情を浮かべた。

 

 

「でも一応 ‥‥‥‥‥‥ 友人として、一言忠告しておいてやるよ」

 魚の小骨取りを諦めて箸を置き、和希は不意にポンと啓太の肩に手を叩いて。

「へ、何?」

 グラスの水で喉を潤そうとする啓太に、一言。

 

 

 

「七条さんの言うこと、いちいち気にしてたらお前 ‥‥‥ ハゲるぞ?」 

 

「それは酷いですね、遠藤くん?」

 

 

 

 その返事に。

 

 今度は啓太が、吹き出した。

 

 二人して一斉に振り返り、その姿に体を硬直させる。

 

 

「し ‥‥‥ し、七条さん!?」

 和希の声など、驚きに半分裏返っている。「はい」と律儀に応える七条の奥には、トレイを持ち運んでいる西園寺の姿もあった。

 

「七条さん、それにじ ‥‥‥ 西園寺さんまでっ」

 

 そのトレイの上には、みんなと同じ金目鯛。何となく、西園寺にはミスマッチのような気がして。
 というより、小骨をちまちまと取り除きつつ ―――― という彼が想像できない。

(ここの食事は確かに美味しいけれど、西園寺さんの口にも合うのかなぁ?)

 そんな疑問が、浮かんでしまう。

 それはただの先入観、というか勝手に一人歩きしたイメージだけではあるのだが、何となく違和感を拭いきれない。

 

「‥‥‥ 啓太。私が食堂に来ているのが、そんなに不思議か?」

 

 そんな視線の意味を瞬時に見抜いて、西園寺は一言。別に憤慨しているという訳ではないのだろうが、言葉尻はきつい。

「‥‥‥ いえ、あの、そういう訳じゃ」

 図星を指されてしまい、しかし啓太は慌てて違うと手を振った。

 そんな啓太の様子にクスクスと、七条は微笑む。それから軽く食堂内を見渡して、「郁」と声を掛けた。

 

「向こうの席が空いたみたいですよ、郁。行きましょう」

 

 見ればいつの間にか、食堂の人口はけっこう少なくなっている。食事を終えた者が次々と、自室に戻っているのだろう。時計を見ると、啓太たちが来てから結構な時間が過ぎているのが分かった。

  

 

「食事摂るの、遅いんですね。今までずっと、お仕事だったんですか? 」

 啓太が声を掛けたのに気付いて、七条は小さく頷いた。

「ええ、今日は少し。でも、いつも食堂に来るのはこのくらいですよ」

 

 言って、七条は先に空席へと向かっている西園寺の背を一瞥する。

 それから、「そうなんですか?」という啓太に。

 

 

「郁は、混雑した中での食事は嫌いなんです」

 

 

 

 ―――― 納得。

 

 啓太と和希は、一緒にそんな顔をして。

 

 

 

 それでは失礼しますと、小さく一礼した後西園寺の後を追う七条の背を見送った。

 

 

 

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